〈北見銑十郎は○され方を知らない〉
後ろに迫るなにかの気配には気付いていた。
けれども、振り返った先には人影ひとつなく……まさか振り返った先で頭を殴られるとは思わなかったのだ。
薄れゆく意識の中で、誠吉が見たのは……こちらに近寄る複数の人影、その中に紛れた《あの男》の姿だった。
『どういうつもりだ、アンタ』
意識を取り戻した時、縄で後ろ手に縛られているのに気がついて、自分の身に何が起きたのかをおおよそ理解した。しかしながら……何故、目の前にいる北見銑十郎が、ここまでして自分を傍に置いておきたいのか……そこまでは到底理解はできない。
どこかの納屋。それも、しばらくの間放置されていたのだろう。埃とカビの匂いが鼻について、思わず顔を顰めた。同じ環境にいるはずなのに、目の前の北見は……すこぶる上機嫌な様子で、こちらを見下ろしている。
「どういうつもりも何も、聞いたところでテメェにどうこうできねぇんだから意味ねぇだろうが」
『北見……』
「自分の立場が分かっちゃいねぇ、反抗的な奴の眼だな?斑瑪ェ」
ざり、と草履が床を踏み締める音がする。
そういう北見の方はといえば、紅い瞳がギラギラと光っていて随分と高揚している様だった。
何故か……などという無用な詮索は必要ないくらいに、誠吉はこの男の"そういう眼"を知っている。いや、知らされてしまっている。
『……随分と盛ってんじゃねぇか、犬かよ』
「あ?違ぇよ」
鼻で笑う誠吉のその言葉に、銑十郎は一瞬不愉快そうにピクリとまゆを動かした。が、すぐに何か考えるような仕草をして……再び、ニヤリと笑う。
「……あぁ、いや、あながち間違ってもねぇかもな?」
『はぁ?』
「"アガって"んだよ。これからアンタを好きにしてもいいんだと思うと、悪くねぇ気分だ」
瞬間、ガンッという鈍い音と共に誠吉の顔のすぐ真横で衝撃が走る。驚いた誠吉が視線を向けると、壁を踏み付けた銑十郎の草履が目に入った。
「分かっちゃいるだろうが、助けはこねぇぞ。
俺とアンタ以外、邪魔する野郎はここには誰もいねぇ。正真正銘二人っきりってやつだ……なぁ、斑瑪ェ?」
『何が言いたい』
「んな怖ぇ顔すんじゃねぇよ、興奮するだろうが」
『……相変わらず悪趣味な奴だな』
はぁ、と小さく息を吐いた。
"アイツら"は自分のこの状況に気付いているだろうか……と頭の中でそんなことを考えたが、気付いていようがいまいが、助けは期待できないだろう。敵に捕まった身内をほいほい助けに来るほどアイツらは甘くない。
となると、自力でここから抜け出すしかない訳だが……
後ろ手を縛る縄を確認する。まぁ想像通りがっちりと縛られていて、身じろいだだけでは抜け出せそうにない。となると、何か切るものが必要だが、あいにく目の前の銑十郎とてそこまで抜け目はないようだ。使えそうな刃物は、気絶している間に一切取り上げられたらしい。
さてどうするか……
などと考えに耽っていると、誠吉の比較的冷静な反応がつまらないらしい銑十郎が「チッ」と盛大に舌打ちをしたのが聞こえて、誠吉は顔を上げた。
先程までとは打って変わって一気に不機嫌になったその表情に、誠吉はヒヤリとする。
「おい、いま何考えてた?」
『…………は?』
「逃げらんねぇつってんだろ、諦めな。……あぁ、それとも何か?アンタのオトモダチってのが助けに来てくれんのか?それを考えてたんだろ?」
くつくつと低く笑いながらも、その紅い眼は妖しい光を放っている。突然しゃがみこみ、こちらに顔を寄せてきた銑十郎の瞳を覗き込みながら、誠吉は小さく息を飲んだ。
『お前、何言っ……ぐッ!?』
突然、銑十郎の大きな手が勢いよく顔面をわし掴む。そのまま後ろの壁に躊躇なく頭を打ち付けられ、ガンッ!という鈍い音と共に誠吉の視界が揺らいだ。
ぐわんぐわんと揺れる視界の中、何とか小さく呻き声を上げると、目の前から小さく笑う声が聞こえる。
「ハハッ……
なぁ斑瑪、いまテメェの前にいるのは誰だ?
いまテメェの命を好きにできるのは誰だ?俺はこの場で縛られて動けねぇアンタを殺したっていいんだぜ。
……分かんだろ、なぁ?今、テメェのその空っぽの頭で考えるべきなのは、来るかもわからねぇ助けでも、ここからどう抜け出すかの方法でもねぇ。
────この北見銑十郎、ただ一人の男のことだろ?」
ギリ……と銑十郎の手に力が込められ、掴まれた頭が締め付けられる痛みに顔を顰めた。
……分かっている、これは所謂《独占欲》だ。
ただ歪んで、常人のソレとはあまりにも掛け離れた──彼ですら気付かぬうちに形を変えた、歪みきった独占欲。歪みきっているからこそ、本人ですらその自覚はない。言葉で伝えたところで、彼はそれを理解しない。
嗚呼、だがそれはあまりにも……
その言葉の続きを頭に浮かべる前に、誠吉はそれ以上考えるのをやめた。これは北見銑十郎という男にとって、この世でもっとも言ってはいけない言葉だ。
その代わり、という訳ではないけれど。
誠吉は締め上げられる痛みに耐えながら、北見の指の隙間から彼の顔を見上げる。そのままニヤリと笑ってみせると、吐き捨てるようにこう言った。
『────······アンタ、やっぱ頭おかしいな』
「…………は?」
北見が漏らした声に返事をするまもなく、再び誠吉の頭が壁に数回叩き付けられた。壁を揺らす度に周囲の物がガシャンガシャンと音を立て、棚に上げられていた物がひとつ床に転がり落ちた。
「ふざけんな」
ゴンッ!と鈍い音がした時、誠吉の額に生暖かい物が伝う感触がした。どこか切ったらしい。
揺れる視界のせいで北見の表情はよく見えず、それでも彼の声が怒りに震えているのは嫌という程分かった。
『うっ……ぐッ……』
「ふざけんな。ふざけんな、ふざけんな……!
誰の頭がおかしいって?テメェが……それを言うんじゃねぇ。"テメェだけにゃ言われたくねぇ"……!
────ハハッ、俺の頭がおかしいなら、〈テメェだってよっぽどだろうがッ!?〉」
血走った眼が誠吉を捉える。
フーッフーッと荒い息をつく姿は我を失った獣同然だった。
「だから俺は……ッ!!」
大きな手が次に掴んだのは、誠吉の脂汗の滲む喉首だった。筋肉と血管の浮き出た首、これまで何度も何度も何度も噛み付いて締め上げた、何度も掻っ切ってやりたいという衝動を抱き、抑えてきた、
嗚呼そうだ、何度も何度も、──しいと、そう思ったその首が……
「…………俺は…………」
『ッ、ァがッ……!?』
手の中に収まっているその首をギリッ……と締め上げると、誠吉の瞳孔が大きく見開かれた。縛られた腕では抵抗することはままならず、ただ口をはくはくと動かし、打ち上げられた魚のように取り込めない空気を求める。
『き、た……』
「………………」
誠吉のそんな姿を見て、銑十郎はただそれを見つめながら「ああ、こいつも結局は殺せるのだ」と、頭のどこか冷静な部分が冷たく言い放った。自分がこの手を緩めなければ、こいつは死ぬのだと。
嗚呼、しかしながら……しかしながら……それはあまりにも惜しい。時期尚早だ。北見銑十郎が、北見銑十郎である為には……まだこの男が生きている必要がある。
────そう思った時には、既に北見の手は誠吉の首から離れていた。
『~~~~ッ、かはッ……!!ハッ……!ハァッ……!!』
埃混じりの空気が勢いよく肺に流れ込む感覚に、それでも誠吉は安堵した。まだ、生きている。
息を大きく吸い込んだ後、そのまま咳き込んだ。視界がまだチカチカしているような気がして、顔を顰めた。
「……えた」
『……ッ、あ"ぁッ!?』
北見が何かを呟いたのが聞こえて、誠吉は勢いよく顔を上げる。そこには、自分の掌を死んだような目で見つめる北見が、納屋の隙間から射し込む月明かりに照らされていた。
「…………萎えた。帰るわ」
『…………はぁあッ!?』
北見は再びそう言うと、くるりと自分から背を向ける。
突然すぎる展開に驚きを隠せずに声を上げる誠吉の声すら無視して、彼はすたすたと出口へと向かう。
『まっ……待ちやがれこのクソ犬っころ!!せめてこの縄は外していきやがれ!!!!』
「うるせぇ、そのまま干からびて死ね」
『はぁッ!?てめぇこっっっの……!!』
額に流れる血さえも気にせず喚く誠吉を見て、最後にちらりとそちらに視線を投げた北見は小さく鼻で笑った。
どうせ、放っておいたってこいつは死なないだろう。
「…………そうだ……こいつは俺が殺す……絶対に」
『…………北見?』
「……じゃあな」
『あ、お、おいッ!?北見ッ!!』
先程までの激昂した様子とは明らかに真逆の、どこか小さくなったようなその背中に思わず声を掛ける。
しかしそれでも北見は立ち止まるどころか、振り返ることもなくさっさと納屋から出ていってしまった。
『……なんだってんだよ、あいつ』
一人、納屋に取り残された誠吉は、吐き捨てるようにそう呟く。その言葉に返事を返すものはいないが、それでも声に出すと少しだけ胸のわだかまりがマシになったように思う。
『…………』
ポタリ、と額から垂れた血が床に落ちて丸い滲みを作った。視線を移してそれをじっと見つめると……暗がりに浮かぶその紅色に、先程の男の瞳が重なる。
────その時、ふと気がついた。
北見がいなくなり、周囲からは人の気配が全く感じられない。
気を失う前の記憶を辿る。確かに、意識を失う前……自分に近づく複数の人影を見た。その中に北見の姿も混じっていたが、あれは北見が引き連れていた部下だったのだろう。誠吉をここまで運ぶのに使ったのか、囮に使ったのか……そのいずれかだろう。
けれども、北見がいなくなった今……あの男の後ろを追いかける様な人影や気配も感じなかった。現に、今だってそうだ。自分以外の人間……見張りですらも、ここにはいないらしい。
『舐めた真似しやがって……』
どうせ逃げられないからと思って侮られたからか、それとも自分には見張りをつけるような価値すらもないと踏んだか。
"俺とアンタ以外、邪魔する野郎はここには誰もいねぇ。正真正銘二人っきりってやつだ……なぁ、斑瑪ェ?"
『…………』
最初に北見が言っていた言葉を思い出す。
正直、自分をからかうための冗談くらいにしか受け取っていなかったが……あの時の言葉はどうやら真実だったらしい。
『(だとしたら、なんでんなことをわざわざ俺に言った?)』
手を縛られ拘束されているとはいえ、互いの実力は見知っている。自ら、敵は一人しかいないなどと弱みを見せるようなこと……いや、北見銑十郎という男を知っている人物なら、それすらもあの男らしいと思えるか。
……それか、或いは。
『…………んな、馬鹿な』
一瞬、頭に過ぎった考えを、頭を振ってかき消した。
ありえない、あの男に限ってそんな……よりにもよって、あの男がこの世で1番毛嫌いしそうな感情に突き動かされたのかもしれない、などと。
けれども……あぁそうだ、あの男は、知らないのだ。
この世でもっとも嫌いな感情が、己の身に宿ったところで……彼の歪みきった独占欲と同様、あの男にそれを言葉にして伝えたところで、理解はできまい。
『(……けど、)』
もし、そうだとするのなら。
〈それ〉を知らない男が、気付かぬうちに〈それ〉を自分に求めているとすれば。その方法を、求め方を、その正体すら知らないとすれば。
あぁ、なんという……滑稽だ、と笑いたくなるのと同時に、どうにもいじらしい。
正真正銘の阿呆、もっとも愚かで……どうしようもなく胸を掻きむしりたくなる。
……静寂に包まれた薄暗い納屋の中で、ブチン、と何かが切れるような音がした。
『あぁ、痛てぇなクソ……』
愚痴を零すようにそう呟いて、誠吉はようやく解放された手首をさする。何度も何度も縄を柱に擦り上げたせいで、手首まで赤くなり血が滲んでしまった。
次はもう少し上手くやらねぇとな、と思う。
北見にバレないように少しずつしか出来なかったとはいえ、こうなることなら、もう少し早く縄を切っておけばよかった。
『まだ近くにいりゃあいいけどな』
しかめっ面をしながら、ひとつため息をつく。
……誰だって……いや、自分だからこそか。
あんな後ろ姿を見せられたら、後だって追いたくなるだろう?
『……あぁ、やっぱ……俺も大概、"頭がおかしいな"』
自嘲的に笑いながらそう零し、誠吉は納屋を出た。
立ち去って行った時の足音が向かった方向に目を向けながら、自分のやっている事の馬鹿馬鹿しさに思わずため息をつく。
『別に……この手首の落とし前を付けるだけだ』
深い意味は無い。
ただ、ついでに……あの男に、己が自分に向けた歪んだ独占欲の根底にある〈それ〉について、小一時間ほど小言を漏らそうかと、そう思っただけだ。
────幸い、月はまだ明るい。
だからきっと……この道を追いかけた先にあるあの紅い着物だって照らしてくれるだろう。
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友人の暁より頂いた小説です
暁は光落ちクラスタなんだよ…誠銑に光落ちの可能性を見せてくれて私が発狂した
ありがとうございました…大切にする(;▽;)